葛飾区で神社が多く存在しているエリアの地名の由来とは?

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葛飾区には神社が多いと感じる方もいることでしょうが、その理由として葛飾区の大半は以前、葛西御厨に属していたことで伊勢神宮領だったことが挙げられます。

水元金町近辺は香取神宮領、他は伊勢神宮領だったため、水元近辺は香取神社名、その他のエリアでは天祖神社名が多く存在しているのです。

その中で、神社が多く存在する地名の由来を一部ご紹介します。

神社が多い「高砂」という地名ができた由来

高砂にも多くの神社が存在しますが、その名称の由来は何なのでしょう。

昭和7年10月の市郡併合により葛飾区が誕生したわけですが、それまでは「曲金」とよばれていましたが、すでに室町時代からあった地名とされています。

川が蛇行する様子をあらわす「曲」に淵という意味を持つ「金」による地名なので、中川との関係もあって付けられのかもしれません。

明治時代に入り、地元の方たちから金が曲がるといった語調が気になるという声が出たことにより、明治9年の地租改正で、須磨・明石・朝妻・墨田・高砂・出雲・吾妻など小字名ができたという流れです。そこから昭和7年に葛飾区が誕生し、その中で最も縁起の良い高砂という名称のみを区の町名として残したとされています。

フーテンの寅さんの故郷「柴又」の由来

同じく神社が多い「柴又」は、「フーテンの寅さん」の故郷としても有名な観光名所です。

奈良東大寺の正倉院にある「養老五年 下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」には「嶋俣里」という記載がありますが、「嶋俣」=「しままた」が「しばまた」へ変わったのではないかと推測されています。

奈良時代の戸籍にはトラとサクラの名が記載されていますが、どちらも寅さんの登場人物です。

「嶋俣」は、デルタ地帯に形成された島状の地形である「嶋」と、河川が合流する地点である「俣」を意味します。

中世より後で「しばまた」は、柴俣、芝又、芝亦、柴亦などいろいろあったようですが、江戸時代以降は現在の「柴又」が使われています。

新たな宿をあらわす「新宿」の地名の由来

戦国時代、小田原に本拠地を持つ北条氏により、対岸にある葛西城の町場として新たに整備された宿という意味を持つ「新宿(にいじゅく)」。

常陸以北と下総の分岐点であり、交通の要衝として栄えた場所です。

江戸時代、水戸佐倉道として整備されたことで、「千住宿」と「松戸宿」の繋ぎの宿に位置付けられることになったとされています。

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